倉敷市の歯科 一般歯科 予防歯科[石村歯科クリニック]瞑想教室・気功教室

倉敷市の歯科 一般歯科 予防歯科【石村歯科クリニック】瞑想教室・気功教室

石村歯科クリニック…「出会い」

倉敷市天城 岸 晋三 様

S氏は得難い友人である。色々な事に造詣の深い上に謙虚でかつユーモアがあり、話をしても飽きる事がない…、お宅を訪ねてもつきぬ話につい長居をする次第。
過日も同様に話に花が咲いた中でたまたま武術について
「講談なんかでときどき有るよね。気合いで相手を倒すとか、飛ぶ鳥を落とすとか、そんなことあり得るのかなぁ?」
「さぁ、飛ぶ鳥はともかく相手を倒すことはできると思うけど」
この言葉を聞いて、荒々しい事や怪しい事を好まぬ穏やかな人と驚いた。
「というと、何か体験でも?」と問うと、「現在『気功』(中国古来の呼吸法による心身鍛練法)に関心が有ってねぇ」
「というと…気功で相手を倒せるの?」「実は僕が倒された」「えっ!と言うと誰かと試合をしたとか…」
「ある日ね、道場に立ち寄った時のこと。師がお弟子さんを縦に並べて立ち合いの所に出会った、師の静かな気合いと共に先頭から次々に倒されて行く。最後の一人が倒された後で僕に気づかれて、
「やぁSさん、いらっしゃい、あなたもどうかな」と声が掛った。

実は若い頃、かなり熱心に空手をやった事があってね、そう簡単には倒されないという自負が有った。で、「御願いしますと立ち会ったまでは良かったけども、気が付けば、後ろの壁に打ち付けられていてね。もう…驚いたよ」…聞いた僕も驚いた。

「なんと、本当にあるんだなぁ!!。それで道場へは毎日通ってるの?」
「いや、週一で水曜だけ。もともと気功普及の目的でなさってるので本業は別。すぐ下の2階で歯科クリニックを経営なさってる。それに驚くなかれ、あち神社の神職を勤めておられる」

「ちょっとちょっと、あち神社ってあの阿智神社?」「そう、その阿智神社」

これはますますのサプライズ、あの美観地区を含めた旧倉敷市街の尊崇をあつめる総氏神様である。

「そんな方なら歯の治療もキット素晴らしいだろうなぁ…絶対!」(何しろ先生は、倉敷の御蔭総本山総代理店大権現だ)

「それは間違い無いと思うよ、僕は元来歯が丈夫でね、治療で歯科へ行った記憶は…まぁ無いね。丁度、歯石除去の時期だったから、人伝てに先生が名医である事を聞いていたので、早速お願いに上がったのが御縁の始まりだったなぁ。入念に見て下さり「しっかり手入れ出来てますなぁ、ただちょっと見つけ難い所に虫歯菌の巣がありますな。ついでに治しておきましょうか」
「御願いします…丁寧で緻密な治療だったなぁ、時間をしっかり掛けて。しかも技術が素晴らしくてね、とても後の調子が良いんだよ。然も費用はリーズナブル」

「なれば要するにコスパ(コストパフォーマンス)最上と言う訳だね(どうも小生の表現は品が悪い→反省)」

「僕もお世話になりたいねぇ。で、クリニックへの道順はどう行くの」

「あぁ、これは分かり易い。児島から倉敷に向かう県道を直進、船倉の交差点を左折して直進(註:交差点直進は進入禁止。右折すれば小町トンネル)。倉敷商業・成人病センターを左に見て通過、白楽町交差点を過ぎると、直ぐ右手に倉敷消防署。
その筋向いが《石村歯科クリニック》ビル。その直ぐ手前にボタン式信号のある交差点。うっかり通り過ぎてそのまま直進すること無い様に注意。

要するに、この信号を渡ったらクリニックの建物前という次第。だから、渡って直ぐの建物前の駐車場に車を入れて良し。
また信号を左折すると右側がクリニックの1階になっていて、そこにも駐車出来る。表の県道に面して《回り階段》があり、それを昇って2階がクリニックの入口。(註:因みに3階は《気功道場》)。

実は僕も妻も夫々の歯に散々(惨々)の苦労を重ね中だった。僕の歯は半分以上が通常の使用不能、といって手をこまねいていた訳では決して無い。勤務先の付近や自宅周辺の歯科医院に御世話になるのだが、完治する事無く次第に悪化し、しかも範囲は次々と漸次拡大。
妻も同様。『良い』と評判の先生に御世話になるのだが、一時的に良くなっても完治せず、此の度はとうとう「現在治療中の個所が悪くなれば、次は『総入れ歯』になります」との、なんともショックそのものの御託宣!
こんな非常事態にS氏の話しは、まさにこれ『渡りに舟』。帰宅して妻に早速に話すと、「Sさんのお話しなら間違いある筈無いから、わたし御世話になります。貴方も一緒にどうかしら」…当方、もとより異存無し。

★INFORMATION【受付】

翌朝、早速に妻が電話し御願いする。
「柔らかい声音の、けれどハキハキした対応をなさる女性の方が出て下さった。いろいろ、こちらの都合などを聞いて下さり日時が決まりました…好い感じの方でした。今度こそ、完全治癒の予感がします」…これは楽しみ。

以前は知らず、昨今は大企業でも、【受付】には諸事に気配りの行き届いた優秀な女性を配置するのが慣例である。
来訪者がその対応のありようで、その企業の全体像(レベル)を推量するからである。

石村先生は神職(それも阿智神社)でも在られるから、此の点に間違いはあるまい(何しろ神道は『清き赤き心』だから)。

所定の日時に伺う。「御免下さい」「ハイ」と爽やかな声音と共に、目鼻立ちのスッキリと整った品の良い、知的な女性がカウンターに出てこられた。

(石村先生が神職であられる事からの連想が意識下にあったのだろうけど)、この方が巫女の装束で神楽舞など奉納なさったら、凛として舞台映え素晴らしいだろうなぁ…と失礼な想像。

「応対も丁寧ながら簡潔にして要領よく親切、しかも決して過剰にならない。要するに『程を知っている』のである。
『今度こそ根治に至るだろう』という確信をこの雰囲気から持つ事が出来た。

実例を一・二あげれば、妻と二人まとめての診療の為、診療時間の設定が非常に面倒であるが、その予約に就いては、必ず二人連続しての、或いは同時刻での(診療台2床同時使用)時間設定を調整して下さる。

別の患者さんの急なキャンセルの時に、「この時間ならお越し下されば、診療できますが…との連絡を自宅まで頂いた事も何度かあった。

★石村先生

『受付』が終り待合いのソファーに座る。前に長テーブル、その卓上に様々な健康関連の冊子など。右側の本棚には子供向けや主として健康・教養・宗教・また医療関係の書籍など、本棚の上には数冊の健康関連の書籍が置かれている。

好著『奇跡の林檎』を手に取り読んでいると、突然…
「やぁ、いらっしゃい」と気さくな声が掛り、品の好い素朴な感じの後期壮齢者?的人物が立っている。瞬間、戸惑った、(医師特有の、権威的な上から目線的なものが絶無の雰囲気に)。着用の診察着から石村先生その人である事が理解出来たので、「あ、これは先生、御世話になります」。これには特に返事は無く…。
開口一番『玄米、食べてますか?』「?・はぁ…以前は食べてましたが、今は全然」「それは残念、ぜひ玄米食を復活させましょう。あれは非常に健康に良いですよ」フムフムと納得する間もなく、次に「歯磨きシッカリやってますか歯磨き?フッ素入りの歯磨きで」「フッ素?あれは先生、乳歯には効果があるけれど、永久歯には効果がほとんど無いとか聞きましたけれど」「そんな矛盾した事を言うてる。ちょっと考えてみぃ、乳歯には効果が有って成人の永久歯には効果が薄いなど、変だなと思わんのかなぁ」「…そうですねぇ、そういえば前の医院では診療台の上で、診療待ちの時、たまに衛生士さんが『今日はフッ素を塗布しましょう』と塗ってくれる事がありましたが」
「たまに、か。それでは効果ないなぁ、『家でもフッ素のうがいをするように』という指導は無かったのかな」「ハイ、全然…」「どうして(指導)しないのかなぁ…歯磨き毎にやらねばなぁ」「でも先生、フッ素入りのうがい液など市販してないでしょう?」「いや、それなら『受付』にあるよ、気が向けばどうぞ」 最初の診療が終わった後、早速に購入。

(註・効果)就寝前の歯磨き後に必ずしっかり強くうがい→効果てきめん、全く虫歯知らずの現在である。
(最初は薬液と、それをうすめたものを入れる容器など購入の初期投資を要するので多少の別途費用がかかるが、一度購入しておけば、以後はフッ素原液だけの購入となる。これをならすと結果として非常に安価になり極めて経済的である。絶対にお得にして効果大。経験者としてこれは購入をお薦めします)

さて、健康の為の玄米菜食・青汁やスローステップ・青竹踏みや歯の健康上のツルツル磨き・土手磨きや歯間ブラシ等での保守について、有益な御指導やら御小言やらを頂いているうちに…

衛生士さんによる先客の治療が終了、連絡を受けて「じゃぁ(診察室へ)入って…」と先生。…いよいよ診療開始!

「(私の治療で)人生変わりますよ」と先生、自信十二分と御見受けした…小生の期待も膨らむ。

★診療台・治療(先生・二人の衛生士さんKさん・Nさん)

「この上へどうぞ」とNさん。しかしこの診療台、今までに経験した椅子状のものと全く異なる。ベッドの様に仰向けに寝るタイプで、身体を倒すときは衛生士さんが背へ手を添えてくれる,,X,,@,だし、このタイプの利点は直ぐにわかった、治療側から見る際の口内観察が実に容易なのである。けれど治療側の身体的負担は腰を屈めての姿勢だけに当然に大きいはず、あくまでも治療効果第一の当院の基本姿勢がはっきりと示されている。

「はい、口を開けてアーン」。口をあけると先生驚きの声「これはひどいなぁ、よっぽど強く歯を磨いたのだなぁ、エナメル質が磨り減っててこれはひどい。下手なヴァイオリン弾きみたいにゴシゴシ磨けば良いというものでは無い。柔らかにソフトに穏やかに磨かにゃあ」(この『下手なヴァイオリン弾き』なる例えは、先生すごくお気に召した様で、毎度これで叱られた。反論したい時も有ったが、口を開けっ放しだからどうにもならない、アンフェアーの極みである)。

けれども治療そのものは実に緻密で丁寧、入念の限りを尽くして一切の手抜き無し。時間をかけ手間をかけ、先生の納得ゆくまでまじめで熱心な施療が長時間にわたる。
しかも技術は極めて秀逸。例えば『麻酔』、これは極力最小限に留めようとされる。想像であるが微量といえども麻酔剤の患者の身体に及ぼす負担・弊害を熟知されての事と思う。

使用やむを得ずと判断の時は『麻酔』と小言で衛生士さんに一言、「ハイ」…しばらくして先生受け取ったらしく、少し患部の辺りを触った感触…先生、座を外す。衛生士さん「効き始めるまでちょっと待って下さいね」…あれっ麻酔終わったの、いつ? 「しびれてます?」と衛生士さん。確かめてみると確かに口辺に痺れ「ハイ、確かに」…先生おもむろに再登場、抜歯などの施療が始まる。
(妻も、後に御世話になった娘も『麻酔が何時始まり終わったのか判らなかった』と言う。小生の鈍感さの故でもないらしい)
思い返せば今までの治療で『麻酔』と聞くととたんに硬く身構えたものだ。一度で効いた時でも注射の痛みは中々のもので、一度で成功せず、再度再々度となる事も度々あって、患部の周辺に麻酔薬ふりまいて、どれか当るだろうとまるでショット・ガン的治療。
とにかく『麻酔』と聞けば怖気をふるったものだったが、当院では全くのいらぬ心配に過ぎなかった。

それにしても小生の歯の傷み具合は相当にひどかった。上の歯は半分以上ダメ、下5分の2もアウト、こんな惨状の歯の修復など出来るものだろうか。でも先生、「10年早く来てくれてたらなぁ」と嘆きつつも「(当院の治療で)人生、変わりますよ」と言われる、そしてこの言葉が治療の進行と共に次第に現実味を帯びてくる…先行き実に明るく楽しみである。

部分部分の義歯を作りながら全体の根幹からの治療、その部分入れ歯の最初が出来上がったとき使用感は極めて良好、何の違和感も感じられないに関わらず、他院でセットしたものと何か違う。この感覚はなんだろう、何の問題も無いのに?そうしてある時ハタと気付いた。キウイやイチゴを食した時必ず義歯と歯茎の間にタネやカケラなどがはさまって、その痛みにその都度外し洗い直して再セットしていた。その煩わしさが全く無いのである。余りにもスムーズに食事が進む、その違和感で有った。納得!

治療が進んでいくに従い義歯も新たに作られたがいずれも完全で、小生には全く問題は無かった。
かくてついに待望の義歯完全完成の時を迎える事とあいまった。

先生の技術と患者に対する真剣な治療への姿勢はただただ感謝あるのみである。
ただし先生の信念を守って全うしようとする、優秀な手足ともいうべき衛生士さんお二人の存在を忘れる訳にはゆかない。

Kさん、明るくサッパリとした爽やかな雰囲気。
Nさん、穏やかで落ち着いた優しい雰囲気。

外見に違いはあるけれども、仕事に対しての姿勢は共通している。先ず何よりも患者第一が最低基調音として常に存在する。
従って、御二人とも常に笑顔と共にあり、とにかく親切である。
そうして、それを裏打ちする技術の確かさ。

診察の時には、どちらかが明るく、或いは穏やかな微笑みを以て待合室まで来て呼名して下さる。
診察室へ入ると大抵呼んで下さった方の出迎えとなる。

先ず始まるのが口内チェック、これが厳密綿密を究める。
歯や歯間の汚れなどもKさんは明るくテキパキと、Nさんは穏やかに優しく。けれども雰囲気に安心してはならない、

チェックは結構厳しい。雰囲気に惑わされてぼんやり聞いていると、手鏡を持たされ、不良箇所の指摘と確認が求められる。
そうして、その個所の対処法へのシッカリとした指導が行われる。
指摘箇所への質問については、回答はどこまでも懇切丁寧で『歯磨きはキチンとせねば』の気になってしまう。

折々に歯周ポケットの深さ調べまで実施され、「7ミリ」という声が聞こえた時には横着物の小生もさすがに愕然となり、その日の歯磨きには一段と力が入った(おっと、力を入れてはいけない、あくまでもソフトに穏やかに)。

で、この指導の成果は着実に現れている、小生の現在の歯ぐきや虫歯に於いての改善は、他院の指導では絶対に見ることの出来ない結果となっている。

先生の技術について今一つ、これは上の歯列の最終義歯型取りの時の事

型取りは何時も衛生士さんが実施、今まで数回の型取りにKさんNさん何れも何時もやり直し無く一度で短時間に終了、
いつも結果は問題なかった。

けれど、この時は違った。何しろ型取りの範囲は歯列だけでなく、上顎にまで広く拡がっている。
担当はKさん。型取りに何時に無く時間が掛る、「よし、これで良し」と独り言を言いながら印象材の固まるを待って取り外し、しばし眺めて「これじゃあダメ」、「御免なさいね、もう一度やらせて下さいね。」…慎重にやり直し→じっと眺めて「これも…何度も済みませんね」…さらに慎重に…「矢っ張り…先生に御願いしよう」(と独り言)。

「先生ちょっと」、先生委細を聞かれてそばへ来られ「はいアーン、ああこれね」、Kさんがセットした型の上から2・3ヵ所チョイチョイと抑えた感じ、「じゃあ固まったら外してみて」…Kさん外した出来上がりをじっと見て「あぁこれで完璧」。

その後Kさんから義歯の材質に就いての説明、「口蓋の所ですが、金属製のものは薄くて丈夫です。プラスチックは分厚くなります。装着した心地は、金属の方が薄いだけに良い様ですが、プラスチックにされる方も多くおられます」(金属が良さそうだが自由診療となるので、当然に経済的問題が絡んでくる)「保険が利くのはプラスチックの方ですね」「ええ、そうです」。

「じゃあプラスチックで御願いします」「ハイ、判りました。プラスチックですね」…しかし、どうも何か引っ掛かる、(プラスチックで良かったのだろうか?)。で、先生に尋ねる。
「先生、金属製の利点はどこにありますか?」「ああ、丈夫じゃ。入れ歯着脱のとき、落とす人が意外に多い。洗面台が陶器製の場合これで壊す人がおるんじゃ」(これはそこつに出来ている小生にとっては事件である。過去、部分入れ歯を洗面台に落とし調子を悪くした事がしばしばである)。
「先生、僕はよく落とします、これは考えものですねぇ。で、他に利点は?」
「うん、金属製は熱伝導率が高いので熱い冷たいがよう判るなぁ。熱い茶なんか飲んだ時、直ぐに熱さが判る。此の点でプラスチックは熱伝導率が低いのと厚みもある事で熱さが分かり難い。で、熱さに気付かずそのまま呑み込んで、喉を傷める事も間々あるなぁ。まぁその辺をしっかり心得て注意すりゃあ良い訳だけどなぁ」
「先生、妻と相談してどちらにするか御返事します」
「あぁ、財務大臣としっかり相談して良く考えて呉れりゃぁええ」

★帰宅後妻と相談。

「洗面台に落とすと壊れ易い、熱伝導率が低いので火傷の危険もある。伝導率の低さは食事の際、味にも関係するだろうなぁ」
「それも有るでしょうけど、私の気になるのは口蓋部の分厚さがプラスチックの方が大きいという所。ここが厚いと発声に影響が出ないかと気掛かり、前に○○先生に入れて頂いた時から発音が少し分かり難くなっています。今度はずっと広範囲だから厚みがより広範囲になるだけに、発声にも支障が出、発音も一層分かりづらくなり、そうなると人と話すのが億劫になり、他人様との会話が大儀になり、結果、認知症に繋がる恐れが出て来るのではと、それが心配」
(成る程、これは有り得る)

「金属製の方が丈夫で、食物の味もよく分かり、咀嚼もしっかり出来るので美味しい。となれば健康にも好影響で長生きも出来る。石村先生の技術ならきっとそうなる。5年は寿命が延びるだろうなぁ、そうなれば年金もその分永く受け取れて、今回の自由診療費用は十二分にペイ出来て結構お釣りが来る。長い目で見てこの方がお得! よし決めた、自由診療!」…金属製を御願いする。

義歯セットに指定された日時に合わせて出発の準備中に、クリニックから電話、「届きましたから、何時でもお出で下さい」
行くと、待合室も診療室も何かしら普段と違う雰囲気、シンと静まり返って妙に静か…(どうしたのかなぁ)…わずかの不審感、こちらの様子に気付かれたのだろう『受付』の方が「ちょっと何か変でしょう」「変という訳でもないのですが、何か?」
「実は大変だったのです。先生、出来が良くないと技工士さんに厳しく注意されまして…」
「それで皆さん、固まってしまわれて…」「そうなんです。…それで申し訳ないんですが、作り直しという訳で、今日のセットが延期になるのですが…済みません…よろしいでしょうか…」。

聞いて、こちらは感動した。
今まで、他院で出来上がった義歯のセットで不具合は毎度の事だった。

色が受忍の限度以上に違うので、「ちょっと色が…」「見本通りに作ったのですがねぇ、しかし、自然と人工とではどうしても違って来ます。それに光線の具合などで、見本と出来上がりが違うのもよくある事で…」。
セットして「具合の悪いところありませんか?最初はどうしても不具合は出て来ます。順次直していきましょう」、これは納得。

いままで他院では、一応何度か試適して調整。帰宅後少しの日時でまた調整・調整……調整。結論「やはり人工の物ですから、このまま暫く使ってみて下さい。その内に自然に合って来ますよ」。結局この反復で、そのうちに他の歯が傷み出し新規の治療となる。
 *要するに『歯に義歯を合わせるので無く、義歯に歯を合わせるという事なのである』……結局この繰り返しでした。

★石村先生は違った。技工士さんとの人間関係への配慮よりも、何よりも患者第一なのである。

変更された日時に行く。先生、柔やかに待合室へ登場。手には台にセットされたままの義歯、中々の重厚な風格である(しっかり出来てるなぁ。けど、重そう)。
「これ、はめてみて」「ここでですか」「そう」。
それではと、台から外された義歯をセット……びっくりした、「先生!ピッタリです(みかけから懸念した重さなど全く無い。しかし後から手に取ってみると間違い無く重い。思うに、恐らくバランスが非常に良く作られているからなのだろう。)」

先生にんまりしながら、「いや、修整は出てくる……診てみようかな……中へ入って」
診察台で、「悪いとこ、遠慮なく言うて」「でも…どこといって別に……特に見当たりませんが」「いや、しっかり確認して」。そこで入念に何度も噛み合わせてみる……「そう言えば少し。でもこの位でいいですよ、使っているうちに自然に合って行きますから」「そうかな?まぁとにかく、具合悪いとこ出たら直ぐ来なさい」……先生、別の患者さんの所へ。

衛生士さんはNさん、「少しでも痛みが出たら、我慢などせずに直ぐ来て下さいね。痛むからと義歯は外さずに、附けたままで。そこに微細な傷が付いていますので、そこをキチンと治しますから」

次いで下の歯列……これはKさんの当初の型取りから問題なく、見事な出来上がり。セットも上の義歯と同様に問題無し。

先生に「これで人生、変わりますね」

予期に反して、先生「う~ん……」(これはしたり、わずかに気がかりな反応。)

★義歯、取りあえずのその後

妻と帰宅の途中、夕食のおかず購入にスーパーマーケットへ立ち寄る。

商品棚をぶらぶら眺めていると、なんと『めざし』が鎮座しているではないか!
大好物のこれに意識して気付かなくなって何十年たっただろう(到底歯が立たぬと諦めている物は眼に入らぬらしい)、それが今日は勝手に目に入って来た。

「これ頼むよ」と籠の中へポン。妻驚く、「大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫」「もう、、、ちょっと調子がいいとなると直ぐこれなんだから……私は知りませんよ、どうなっても」

それでも夕食時、早速に待望の『目刺し』登場。「気をつけて無理せずに、十分に注意して咬んで下さいよ」「勿論、勿論」、とは言いながらも恐る恐る口中へ。出来たての奥歯でそっと噛むと、いとも簡単にパリッ!と砕ける。「おっ!夢ではないか」

あとは大安心で、バリバリと一気に二匹、三匹め、、、、、。妻も驚く驚く。再食不能と諦めていた『目刺し』の味との予期せざる再開で有った。

その後も全くの快調。健康な歯だった頃の若い時代と全く変らない。「義歯になると食事がまずくなる」とか「装着していると不快なので、食事の時だけつける」とか、小生の知人の多くが語っていたが、そんな感覚は全く無い。

就寝前に外して清浄液に浸す時(これも最初は忘れること毎度だった)「あぁ義歯だったんだ」と気付く程の快調さ。
歯ぐきと義歯の間に、何かがはさまる事も一切無く、かみ合わせに一切のストレス無し。

しかし4ヶ月を過ぎた頃、さすがに少し弛みが感じ始められた。けれども義歯がこんなに長期にわたって弛みが無かった事など、過去に有り得なかった。

「受診に行くべき」と思いながらも咀嚼はしっかり出来ているので、まぁまぁと横着をきめこんでいた。『ゆるみ』は次第に拡大してゆくが、しっかり咬めるので、ついつい横着を継続。

……そして某日、口内に突然の違和感(やってしまった!)。慌てて口内を探ると矢張りバネが折損(かくなるは当然の帰結、全てこちらの責任→反省)。

ところが驚いた事に、食事の途中であったので(続行可能かな?)恐る恐る続けるとなんと支障なく咬める。翌朝ちょっと忙しかったので、これを済ませて先生の所へと思ううちに昼。
されば食事を済ませてから(然し食事中に異常なし)、食後も依然として異常なし。夕食も……、そこでまたまたそのまま。

それから半月程が過ぎたあたりで、再びの口内違和感。やれやれ此の感じは間違い無くバネの折損だろう。前回の時すぐに行ってれば良かった。(『後悔先に立たず』の見本である)。ところがなんとバネ2個所の折損でも食事が出来る(口を開けたときは義歯が浮いている感じ、然し咬むと元の場所にスンナリ収まって食べられる!?)。とは言っても、幾らなんでもこれ以上の放置は常識外(とっくに常識はずれ)と思えども、相も変わらず食事は出来るのでそこでまた、ついつい。結局また半月程後に妻から「未だですか、早く治して頂かなければ、アホかと先生に愛想尽かされますよ」「分ってる、後は言うな」→瞬間、直行

衛生士はNさん、「カクカクシカジカ、なんともお恥ずかしい次第で」、Nさん平然と「ハイハイ」義歯を受取り先生に手渡す。

先生、やおら登場……「先生済みません、全く僕の責任です」、先生改めて義歯を眺め「うんうん、直そう。ちょっと待って貰うけどなぁ」

「でも先生、御蔭様で人生変わりましたよ」「そうかなぁ、あんたの歯は土手が殆ど無いのでなぁ(義歯を支える歯茎の高さの意か?とすればその通り、義歯を支える歯茎の部分が、無い訳ではないが限りなくゼロに近い)。せめて20年早く来てくれてればなぁ」
(『20年』と驚いたが、その頃の歯の状態を思うと、確かに本格的に急速に歯が痛み始めた頃だった)。

さて、修復なった義歯がセットされたその後は、義歯を装着している事など意識した事も無く、以前にも増して全くの快調そのもので今後の健康増進に貢献度極めて大。要するに何もかも、若い頃と変わらないのである。食べ物は、なんでも支障なく食べられて申し分無し。この上、先生の実践され、また称揚されている玄米菜食や健康法を実行すれば、5年はおろか10~20年の寿命延長も充分視野に入って来ると思える(玄米・青汁や健康法の話しは、先生に質問すれば御機嫌よく教えて頂ける)。

★【石村歯科クリニックの皆様方、有難う御座いました(満腔の感謝を以て)】

先生は小生の言う『人生、確かに変わりました』に対して、何か納得ゆかないものを感じておられる様ですが、先生のお考えは兎も角も、小生がこの様に『確かに変った』と自覚している事は事実ですので、まげて御納得を頂きたく存じます。

先生はもとよりスタッフの皆様方の御尽力により、確かに小生の今後の人生は変りました。
今後は、折々のメインテナンスなどで御世話になる事と存じますが、宜しく御願い致します。

全く、受付の方の患者の立場を御理解下さっての日時調整など終始親切・丁寧な対応に始まり、先生・お二人の衛生士さん、此のお三方の優れた技術・技能の連携の許に作製された、例えば口蓋部を含むその重さを全く感じさせない絶妙のバランスを保つ義歯の型を、余すところなく見事に製品化して下さった技工士さんの精妙極まる腕の冴え。
石村歯科クリニックに関わる皆様に御縁を頂いた事を、この上も無い幸運と歯磨きの度に思う小生であります。

『皆様方、本当に有難う御座いました。』

〔補足(蛇足?)〕

在る日、Kさんの治療を受けている最中、バタバタと元気な足音、「先生、わし覚えてるかな?」「あぁ、あんた、覚えてる。わしが水島で開いていた時に来て呉れてたなぁ」「そうじゃ、流石じゃ先生。もう30年になるかなぁ、あの時治して貰うた歯、今もどうも無いで!」「そりゃあ良かった……あんた帰って来たんかな」「そうじゃ、ずーと地方周りが続いてなぁ、そいで、こんたび帰って来た。ところが歯が悪うなってなぁ、そいで先生とこへ来たんじゃ。せやけど先生、年取ったなぁ、何歳になったんかな」「あんたも人のこと言えん、ええおじさんになったがな。歳なぁ(先生、答える……残念ながら、これは聞き漏らした)」「そりゃあまだまだ若えがな、そいで後、何年くらい続けるのかな」「……まぁ、5年くらいかなぁ」「そりゃぁおえん。早過ぎらぁ、もっと頑張られえ」……正解、その通り。

先生、それは無いですよ。小生は本来の寿命が85歳、此のたび先生から最低10年余分に貰ったから85+10で95歳までは少なくとも生きる事になったのです。依って、メインテナンスの責任だけは最小限度果たして下さい。

〔蛇足……2(小生の家族に就いて)〕

去る日××歯科医院で「次に治療する時は総入れ歯になります」との言葉に落ち込んでいた妻、先生の御蔭で見事な義歯が入り咀嚼に何の不安も無い日々を送っていましたが、或る日、食事の際にしみじみ独り言でつぶやいて「私、胡瓜揉みをこんな具合にシャキシャキ食べられるなんて、もう一生有り得ないと思ってた」。

岡山在住の娘も、どうしても根治せず、永年にわたり悩まされ続けた歯が石村先生に依って、万全の完全治癒となりました。

【先生ならびにスタッフの皆様方に、両名とも至極の感謝に御座います。有り難う御座いました。】

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